2013年11月27日水曜日

勇気が必要なとき、忍耐が必要なときにそっと読み返す本~『それでもあきらめない ハーバードが私に教えてくれたこと』

(今年の1月に書いたブログを、本日開催の読書会に合わせて大幅に加筆修正しました。)





「ハーバード」とか「スタンフォード」とかがタイトルについていると避けてしまうのが常のなのですが、この本はご縁があって手に取ることになりました。

ご縁というのは、著者の林さんと僕が共通の師を持っていたということです。この本の82ページに登場しますが、野村るり子さんという方です。僕が初めて社会人講座なるものに参加したのは、早稲田大学オープンカレッジ八丁堀校の「ゆっくり学ぶロジカルシンキング」でしたが、そのときの講師が野村先生でした。

そして、今年の1月、この本を読んでブログを書いた数日後に野村先生は亡くなりました。病気だったのは知っていましたがそこまで悪化されていたとは思っていなかったので驚きました。僕なりの野村さんへの想いは、この記事に書かせていただきました。⇒『すべては八丁堀から始まった

林さんが野村先生とどういう関係だったか、僕はうかがい知ることはできません。多少なりとも野村さんを知っているので少しは想像できますが、そんな域を超えて濃厚だったのではないかと思います。こちらのブログを読んでもらえば、その一端がわかります。⇒次へ


<目次>
はじめに
プロローグ
第1章 変化
■やりたいことがわからなくてもいい
■変わることを恐れない
■少数派であることに誇りを持つ
■孤独と友達になる
■2つのキーワードで自分を表現する
■そんなことにも本気を出す
■言葉の持つ力を信じる
第2章 転機
■選ばれなかった人は他の道に選ばれている
■自分の「武器」を見つける
■「ノー」を恐れず行動する
■「あるべき社会」から自分の未来を考える
■すべてのことには意味がある
■自分の弱みを受け入れる
第3章 仕事
■「雑用」に魂を込める
■準備に手を抜かない
■自分の役割を見極める
■細部の美しさを追求する
■感情のコストをコントロールする
■仕事に自分の色を加える
■質問の作法を身につける
第4章 心
■隣人を愛する
■「ありがとう」を忘れない
■つらいときこそ品位を保つ
■与えて、与えて、与えて、与えられる
■二兎を追いながら二兎とも得る
■心をベストな状態にキープする
第5章 未来
■与えられた恩恵を社会に還す
■思い立ったらすぐ行動する
■「何となく」で決めていい
■自分に限界をつくらない
■信じるけれども執着しない
エピローグ


『何度挑戦しても失敗をし続け、すっかり落ち込んでいた私に声をかけてくれたのは、ハーバードの卒業生である野村るり子さんだった。
「選ばれなかったということは、他の道に選ばれたということよ」
この言葉に、私はずいぶんと救われた』
(p82)

僕もこの言葉を聞いた記憶があります。その時は進行形で「選ばれなかった」というような体験をしていたわけではありませんでしたから、救われたわけはなかったのですが、この言葉はなぜか残っていました。

あとで考えれば、自分の過去にも「選ばれなかった」という経験が山のようにある。そのことを「あの体験があったから今の自分がある」と思えるようになったのは、この言葉の存在も大きかったのだと感じました。

エピローグには、林さん自身の「選ばれなかった」経験がたくさん書かれています。そこを読むだけでも学ぶべきエピソードはあると思います。しかし、この本は、就職や留学とさまざまな挫折してきたひとりの女性が、「ハーバードへの留学を勝ち取る物語」ではありません。その話はエピローグだけです。そこで終わることなく、ハーバードで学んだこと、それも学問的なことではなく、ハーバードの仲間から学んだことをおあますことなく伝えてくれています。


「勇気が必要なとき、忍耐が必要なときにそっと読み返してもらえるような、そんな本として手元に置いてもらえたら、と願っている」(p9)

僕自身、そうやって今年、何度もこの本を読み返しました。

31個のメッセージ、上にすべて並べてみました。字面だけ見れば、あたり前のことだと思うでしょう。でも、できてますか?いや、それ以前に、そのことを本当に真剣に考えていますか?僕は読み返すたびに「考えてないなあ」と思うことがあります。

1月にブログを書いたときには、「変わることを恐れない」と「与えて、与えて、与えて、与えられる」をピックアップして記事にしました。いま書くなら「「ノー」を恐れず行動する」「与えられた恩恵を社会に還す」「思い立ったらすぐ行動する」「「何となく」で決めていい」あたりについて書くだろうな、と思います。読み返すたびに、違うところが胸に刺さるので。

だったら書けばいいだろう、といわれそうですが、いまは書かない(笑)読書会が終わって、みんなの話を聞いてからまた考えます。

いま、この場で伝えたいことは、ただ「この本をできるだけ多くの人に読んで欲しい」ということ。

ハーバードという、世界のトップエリートだと思われている人たちが、いかに回り道をしてそこにたどり着いているのか。僕らの挫折など大したことではない、と思わせてくれます。

そして、そうした人が日常、なにをしているのか、知ることができます。それは驚くほどシンプルなことばかりです。そのシンプルなことを実践できるかどうか、実践できるるとどう変われるのか、それを知ることができる本です。

このブログを読んだあなた、これもご縁です。是非、読んでみてください。


それでもあきらめない ハーバードが私に教えてくれたこと


2013年11月20日水曜日

心を整えるもの~【読書】「般若心経」を読み解く/現代禅研究会

(この記事は2013年5月15日のアメブロを転記しました)



「般若心経」を読み解く

この本は、臨済宗など禅宗の僧侶が集まって行われている自主勉強会「現代禅研究会」の方20名の方の共著です。

般若心経の本はたくさんありますが、この本、いろんな意味でとてもわかりやすいと思います。




ちゃんと学んだ人に比べたら足元にも及びませんが、それでもおそらくは一般の人よりも僕は仏教についての知識はあるほうだと思います。普通の人はそんな人が書いたものを読んでも逆にしっくりこないのではないか、という気もします。
「お前だけわかった気になってるだろ」という感じで。

「宗教なんて興味がない」
「仏教なんて辛気臭い」

そんな風に思われている方、まずはこのブログを読んでみてください。
その上で、判断されるのがこの本を手に取るかどうかを決めるのがいいと思います。
⇒■ぷぅコッコの一期一会

全体の構成は、般若心経を逐語に切り分け、それぞれのパーツについて各担当の方が解説を加えるという形になっています。解説部分はただの逐語訳ではありません。それそれの方が自分の体験に基づいて日常に即した解説をされています。場面によっては、般若心経や禅宗という立場も離れ、真言宗の開祖・空海の話や、ノートルダム清心学園のの渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」を引用されています。

『「空」とはどういう意味でしょうか。「固定的な実体がない」というのが、その答えです。(p93)
仏教の教え、般若心経の根本思想は「空」だといわれます。しかし、これほどわかりにくいことはありません。僕もよくわかっていません(苦笑)ただ少なくとも「空っぽ」という意味でとらえないようにだけはしたいと思います。厳密に突き詰めるととんでもなく難しい世界に迷い込みかねないと思いますが、正規な仏道修行をしている身ではない、俗世を生きる僕たちが、浮世の処世としてまず覚えておく分には「固定的な実体がない」でいいのだと思います。

これって普遍的なことはない、というこで消極的な意味にとらえられがちですがそれは違うと感じています。別な言い方をすると

「絶えず変化し続けている」(p184)
ということになるのだ、とも書かれています。

たとえば、成長する、ということは変化し続けることです。いまの自分を固定的にとらえてしまえば成長はあり得ない。「空」という言葉はそうとらえておくのがいいと僕は思っています。

しかし、これでわかったと思ってはいけません。温泉のガイドブックを見ても体が温まるわけではありません。『禅関策進』という語録の中では「ただ書物だけにつて語句を読み覚えて、禅道をさぐり求めるようなことはするな。禅道は書物の中にはありはしない」といわれています。「冷暖自知」つまり、水が熱いか冷たいかは自分自身で体験してみなければわからないということです。(p218)

現代は情報があふれている時代だといわれています。知ろうと思って調べればたいがいのことは「知る」ことはできるでしょう。ただそれで終わってしまうことが多いのではないかと思うことがよくあります。

本を読みました、新しい知識を得ました、ひとつ賢くなりました。読書がこれで終わってしまっていることが多くはないですか?得た知識を使って何かを実践する、そうした体験をしていかないと本当の意味で知ったことにはならないのではないかと思います。


苦しいときに楽なことや楽しいことを思うと、とてもつらくなります。また楽しいときに苦しいときのことを思うと、つまらなくなります。苦しいときには苦しいものだ。楽しいときには楽しいものだと腹を据えることです。(p220)

いわゆる「ポジティブシンキング」は「苦しいときに楽なことや楽しいことを思え」という考え方だといってもいいと思います。苦しいことに目を向けるるな、楽しいことだけを考えよ、ということです。で、僕はこうした考え方がが苦手です(苦笑)。

僕が濃厚に影響を受けている和田裕美さんの「陽転思考」のキーワードは「事実はひとつ、考え方はふたつ」人によって受け止め方が違うと思いますが、僕にとっての陽転思考は「苦しいことは苦しいことだという事実として受け止める」ところから始まるものだと思っています。


帯には「20人の禅僧が心に残る出来事から伝える『生きる智慧』」と書かれていますが、まさにそんな内容でした。

「般若心経」は日本人にいちばん愛されているお経だと言って過言ではないと思います。日本仏教各宗派、それぞれ重んじるお経は違いますが、般若心経を重要視しない宗派はひとつしかありません。神社でもこのお経を読誦するところまります。

それだけ日本に根付いたお経です。この本と限りませんが、般若心経関連を本を読んでみることは、無駄にはならないと思います。日本人の根っこの感性に触れることができるかもしれません。

PS
*ちなみに僕の立ち位置は真言密教派なのですが、実は禅宗についてはリスペクトしています。日本人の道徳観・道徳行為が作られるうえで禅宗が果たした役割は大きいと思っています。卑近な例をあげれば、学校で生徒が教室の掃除をする。アメリカではこれは「清掃婦の仕事を奪う行為」として退けられることが多いですが、日本ではそんなことは考えない。やるのが当たり前。これって禅宗の修業から派生したものだ思います。

2013年11月16日土曜日

初期仏教の教え~ブッダ真理のことば 仏教は「心の病院」である!/ 佐々木閑 100分de名著

この記事は、2012年3月25日のアメブロから修正の上、転記しました)

以前(2011年9月・12年3月)、NHK教育テレビ「100分de名著」のテキストとして出版された本です。
僕は番組自体は見ていないのですが、いままでも様々な名著を取り上げていて、入門としては非常に重宝するシリーズだと思っていました。


『ブッダ 真理のことば』  (NHK100分de名著)



この本(お経?)はいわゆる初期仏教・原始仏教に属するものです。数ある経典の中でもとくに古い部類に入ります。

ご存知方には文字通り釈迦に説法ですが(笑)仏教はかなり多様な発展をしています。大雑把にわけると、
自らの救済を目指す上座部仏教、
他者の救済を目指す大乗仏教
にわかれます。
このうち、上座部仏教が東南アジア方面に南伝し、大乗仏教がチベットから中国に北伝していきました。(かなりざっくりですけど)

さらに日本に入り、また大きく変容します。
神道と結びついて神仏混淆な考えも生まれました。また、日本の伝統仏教と言われるもので宗派がいくつあるの考えただけで、どれだけ分派していったか分かるというものです。

さて、ここで取り上げられている『真理の言葉(法句経、ダンマパダ)』は、こうした分裂が起きる前のものだと言われています。また、強いて言えば、上座部仏教に近い内容です(これも強いて言えばです)

著者の佐々木さんはこれを「釈迦の仏教」と名づけられています。

本書を読んでもらえればわかりますが、この「釈迦の仏教」には、一般的に宗教の印象としてある「神秘的」なところがほとんどありません。超越的な存在を肯定せず、生きていく上での苦悩をあくまで自分の問題と考え、自分の力で道を切り開くという考え方をします。

いまの感覚だと宗教というより哲学に近いかもしれません。佐々木さんは「自己鍛錬システム」とい言葉を使われています。

そして、『真理の言葉』からこうした句を引いています。

自分で自分を叱咤せよ。自分で自分を制御せよ。比丘よ、自己を護り、正しい思いを持ち続けるならば、お前は安楽に過ごすことができるだろう。(p75)

もう完全に現代人が思い描く「宗教」ではないですよね。

そして僕はこれからの時代、この原始仏教が重要な役割を果たすかもしれない
と思っています。宗教が神秘性を強調すればするほど現代人は
「またまた~」
と思って胡散臭いと思う可能性が高いでしょう。しかし、だからといっていまの閉塞状況の中ですべてを「合理的」に「科学的」に割り切ることもできないと思うのです。

心のよりどころ、目に見えない何かを信じることは実は大切なことだと思います。

宗教のことを書くのは難しいので(苦笑)
まず手にとって読んでほしいと思います。本当にわかりやすく書かれていますので。もしかしたら、魂を洗い流すような体験ができるかもしれません。


PS
ここまで書いてきてなんなのですが、僕自身は決して原始仏教派ではなく、
日本の土着なものと結びついた修験道やそのにおいを濃厚に残す真言宗(空海ですね)とかに惹かれています。

佐々木さんもこう書かれています。
「釈迦の仏教」と「大乗仏教」、どちらが優れている、どちらが劣っているという判断は無用です。「釈迦の仏教」を頼りに生きていく人もいれば「大乗仏教」で救われる人もいる。宗教の目的が「人の一生を支える杖」であるなら、どんな杖を使うかは人それぞれの状況が決めること。他人の杖にあれこれ口をはさむのはいらぬおせっかいです。(p91)
僕もまさしくそう思います。思わず膝を打ってしまいました(笑)

それと、もうひとつ。
「仏教」というからには仏様が説いた教えであるはずなので、後の「大乗仏教」はすでに仏教とは言えない、という意見があるのですが、僕はこれには与しません。
なぜなら、仏教とは「仏になるための教え」だと思っているので。
そもそも仏さま(ブッダ)というのは
「目覚めた人」「体解した人」「悟った者」
という意味の普通名詞で固有名詞ではありません。

どういう道であれ、「仏になる」「悟りを開く」という道に向かう基本さえ外してなければそれは
「仏教」
と言って差し支えないのだと思っています。


2013年11月9日土曜日

自己啓発は人格改造ではない~「自己啓発」は私を啓発しない/ 齊藤 正明

(2013年5月25日のアメブロから加筆・再構成して転記)

「自己啓発」は私を啓発しない / 齊藤 正

)

以前、こちらのブログでも紹介させていただいた、齊藤正明さんの著作です。


■【読書】マグロ船で学んだ「ダメ」な自分の活かし方


齊藤さんのご著書は、どれを読んでもいい意味で肩の力が抜ける感じがします。
「自分が、自分が」と力んでしまっているときに読むと本当に目が覚める想いになります。

この本で齊藤さんが伝えたいことは、6章にすべてまとめ垂れているのだと思います。だからといってそこだけ読めばいい、というものでもないありません。それではもったいない。

「自己啓発セミナーに600万円つぎ込んだ」という体験談、それも、悲壮感を漂わせるわけでなく、ユーモアを交えながらリアルな体験を語ってくれている部分を読んだうえで、第6章に進むとより齊藤さんが伝えようとしたことがわかるような気がします。


目次

第1章 人間関係に悩み、自己啓発にハマる
第2章 次々と自己啓発をくりかえす日々
第3章 自主開催セミナー・異業種交流会・ネットワークビジネス
第4章 会社を辞めて起業することに
第5章 講師として起業し、成功をつかむことに
第6章 自己啓発から教わることはない

■つまり、宙に浮いたような「個人」という存在はありえず、人は必ずといっていいほど、蜘蛛の巣よりも細かい網の目のようにつながっている周囲の人との関係を持って生きなければならないのです。(p196)

「『自己』啓発セミナー」というくらいですか、自分のスキルやノウハウを向上させることが目的で参加するのだと思います。

僕もそういうことが目的でセミナーに参加しているわけですが(笑)、そうして何かを身に着けると意識が高くなって

「自己実現のためには□□をしたい」「自分は○○をするにふさわしい人間だ」
という自分の願望が先行してしまうようになりがちです。

「絆」とか「ご縁」とか「ネットワーク」とか言い方はさまざまですが、そうしたことを口にしながら実際は「自分が、自分が」ということになっている人も見かけます。

でも、世の中自分一人では何もできない。周囲の期待に応えて、結果を残して、それが評価されることで(小難しく言えば「承認」されることで)自分の存在を確認でき、喜びを感じるのが人間ではないか、と僕は思います。周囲の期待と無関係に自分のやりたいことをするのは「趣味」です。少なくともそれは対価をいただくべき仕事ではないでしょう。

むろん、なんでもかんでも周囲から「やれ」といわれたことをやればいいというものありません。結局、自分が持っているもの、新しく身に着けたものの中で、どんなことなら周囲の貢献できるのか、それを考えて、周りを喜ばすことで自分も喜びを感じる、というのが本質のようなに思います。(これは10数年前の自分に言ってやりいたいことです)


■自分がより高い人格を目指し努力します。それに伴い、周りに自分を支持してくれる人が少しずつ増えてきます。だからといって、どこまで努力しても全員があなたのいうことを聞いてくれる神のような存在になれるわけではありません。(p204)

『人を動かす』という名著のタイトルのせいかもしれませんが「動かす」という言葉がビジネス書やセミナーでよく使われます。ただこの言葉、誤解されやすいし実際誤解されているのではないかと思います。

動かす=他人をコントロールする、ではないと僕は思います。

動かすとは「共感を得ること」。共感を得ることが目的であって、自分の思い通りに操ることが目的ではありません。そして、共感を覚えれば人は何らかのアクションを起こします。結果的に自分を応援してくれたり、同じ目的・目標のために動いたくれたりすること多いということだと思うのです。

■自己啓発から教わることはない(p206)

ここが本書で一番言いたかったことではないか、と思います。

現在、「セミナー講師」をされている斎藤さんがこう言い切るのは凄いと思いますが(笑)「教わることはない」であって「学ぶことはない」ではありません。ライオンがカメに「シマウマはこうやって狩るんだよ」と教えても役に立たない、という意味のことが書かれています。講師の教えることは講師の勝ちパターン。それが万人に、つまり私という生徒にそのまま役に立つかどうかはわからないわけです。

ですから、自分にあったところだけを取り入れる。つまり、自分で取捨選択をして「自発的」に学ぶということが大切なのだと思います。最初は教わった通りにすべてを真似してみるのもいいと思っています。やってみないと自分にあっているかどうかはわからないから。

でも、できないからといって自分を責めるのではなく
「これは自分にあわないとわかった」
という学びに変えて、次のトライアルに向かうことが「自己啓発セミナー」の有効な活用法だと僕は考えています。



この本を読んで、(いくら使ったかは別にして)自分も同じような形でセミナーに参加している、と心が痛くなる人もいるかもしれません。

でも、「おわりに」こう書かれています。


■「今」の自分というものは、人生の中で一番賢い存在でありつつも、まだ若くて未熟でもあるという、不思議な存在なのです。(p213)

過去の間違え・失敗はすべて学びです。まだ未熟だったが故の失敗を学びに変えて、これからの人生で一番若い今から、新たにまた始めればいい。

僕自身、いつもそんな気持ちでいたいと思っています。


2013年11月7日木曜日

仕事に自己実現を求めるな!~「頑張ってるのに報われない」と思ったら読む本 / 田島弓子



「頑張ってるのに報われない」と思ったら読む本 / 田島弓子




田島弓子さんの新著です。読み進めるほどに共感ポイントが増えていきました。


田島さんのご著書は全部読んでいますし、セミナーなどで結構お話を聴かせていただいています。僕自身が主催者として講師をお願いしたことも2度ほどあります。だからこの本に書かれていることで目新しいことはありませでした。

にもかかわらず、ある種の感動をもって読み進めたのは、自分が考えている「働き方」の方向は間違っていないと確認しながら読んで行けたからだと思います。

「はじめに」で「この本は『ワークライフ“アンバランス”2.0』」だという説明をされていますが、まさに「深化したワークライフ“アンバランス”(働き方論)」だと思います。

<目次>
第1章 なぜ、あなたは報われないのか?
第2章 あなたの「価値」を高める方法
第3章 ビジネスパーソンの心の整え方
第4章 仕事と「オトナの関係」をつくる
第5章 味方をつくる働き方

第1章に、「主語を自分にしない、相手を主語にして考える」ということが書かれています。自分の「こうしたい」という自分目線で考えるのではなく、与えられた仕事の目線や目的を指標に仕事をする、ということです。

そして「仕事を通しての自己実現を目指さない」ということも書かれています。自己実現は「自分目線」になっているから、ということです。

ここまで読んできただけで、個人的には共感の嵐でした(笑)
「自分のために頑張る奴はアマチュア、他人を喜ばせたり楽しませるために自分を活かすのがプロ」
だと、僕はかたくなに信じているのですが、その感覚に確信がもてました。

そもそも「自己実現」は仕事で成し遂げるものではないと思います。仕事は、誰かに何かの貢献をしてその対価をいただく、ということです。この本の中の言葉を借りれば「他己実現」です。いま、目の前に与えられたことに立ち向かわずに将来の「自己実現」を夢見るなどというのは本末転倒です。

結果的に、自分の好きなこと、得意なことで貢献できるようになって、仕事を通して「自己実現」が達成できることもあるでしょうが、最初からそれができるほどうまい話があるわけない。しかも、好き・得意「だけ」を活かして貢献できるなんてことはあり得ないわけで、そこを誤解させるような自己啓発書が多すぎる、と思っていたので、とてもすっきりしました。

このポイントさえ納得して押さえることができれば、その後に書かれていることは素直に理解できるはずです。すべて仕事の基本だと思うことが並んでいます。

たとえば、
「仕事の中身より仕事の目的が大事」
「結果を出すために、目の前の仕事に全力を尽くす。それがプロの『在り方』」
「クリエイティブ『な』仕事をするのでははなく、クリエイティブ『に』仕事をする。」
「『何をやるか』ではなく『どうやるか』」
「『働く』とは『人のために動く』『人と動く』『人を動かす』」
「組織で働く最大の報酬は『戦友のような仲間意識』」
といったことも納得できるのではないかと思います。

こうして、仕事に対する姿勢、働き方の基本を身につけた人は楽しく仕事ができるようになるはずです。むろん「楽しい」は「楽(らく)」をするという意味ではありません。明るく楽しく激しく「モウレツ」に(笑)仕事に取り組んでいく、という意味です。

そういう人はきっと「カッコいい」のだと思います。みんな「カッコいい」ビジネスパーソンを目指しましょう。

田島さんはこの本を次のような言葉で締めています。僕もまったく同じ気持ちでいます。

■「カッコいいサラリーマンが増えれば、日本の企業はもっと活気に満ちたものになると、私は信じているのです。」(p202)

そしてこれが実現すれは、日本全体が活気に満ちた国になるのだと、僕は信じています。







2013年11月5日火曜日

価値観の違う人をどうマネジメントするか?~『女子社員マネジメントの教科書 ~スタッフ・部下のやる気と自立を促す45の処方箋/田島弓子』

2012年11月30日のアメブロから転記しました)

女子社員マネジメントの教科書 スタッフ・部下のやる気と自立を促す45の処方箋/田島弓子..




大好きな田島弓子さんの近著です。

書かれているのはまさにタイトル通り「女子社員マネジメント」です。
しかし、それだけの話ではありません。
「おわりに」にこうあります。

本書で取り上げたことは、男女の話ではなく「価値観の違う人をどうマネジメントするか」というシンプルな話。(p228)

そういう意味で、なんらかマネジメントの仕事に関わる人は、女性部下がいる、いない、に関わらず、読み手の工夫次第で参考になることがたくさんあると思います。

2年ほど前、このテーマで田島さんが、川崎貴子さん、金澤悦子さんとコラボでセミナーをされたことがあって、それを拝聴させていただいたのですが、そのとき川崎さんが

「よく、女性社員活用と言って女性幹部に話を聞いたり案を出させたりしますが、それはダメです。そういう人は、中身はほぼ男だと思って間違いない。」

と言われていたのを印象深い憶えています。

男だ、女だ、という単純な区分けではなく、結局は個々人と向き合って考えるしかないと思ったのでした。


<目次>
・Step 1 上司の「5大お悩み」と部下たちの本音
~彼女たちが何を考えているかわからない!・Step 2 自立したビジネスパーソンに変わる5つの意識改革
~陥りがちな5つの意識とその対処法
・Step 3 これだけは言ってはいけない8つの言葉&伝えるべき8つの言葉
~ 関係不全の発端は、上司が何気なく発した一言
・Step 4 やる気を育てる上司になるための5か条と具体策
~次はあなたが変わる番です!
・Step 5 戦力最大化のネクストステップマネジャーとして育てるために
~女性社員を戦力化し、次の管理職候補に
・おわりに きたるべきダイバーシティ&インクルージョン時代に向けて



少し、昔の僕の話を書きます。
「Step 1」は「彼女たちが何を考えているかわからない!」ということですが、これ、僕自身が新入社員ころから上の人に言われていたことでした。

「お前が何を考えているかわからない!」

特に「すぐ感情的になる」というのはまさに僕のこと(苦笑)
仕事で叱られたことを人格否定のように受け取っていました。
(いま振り返ると、人格否定をするような言い方をする上司もいましたが、すべてがそうだったわけではありません)


また、「これだけは言ってはいけない8つの言葉」のうち、7つは言われたことがあって、6つは確実にやる気をなくしてました(苦笑)

特に「なんで失敗したんだ!(とキレる)」はもう、お話しにならない。なんで失敗したか、理由を説明できるなら失敗なんてするもんか、と思ってました。

僕の話を持ち出したのは、昔の僕がいかに使えなかったか、という暴露話がしたかったわけではなく、男女の違いを過度に考えすぎるのはよくない、男性でも同じように気をつけなくてはいけないことがある、ということが言いたかったわけです.。(お前が女性的なんだろ、と言われればそれまでですが)


ただ、大雑把に言えば、男女の生物的な違いはあるし、現実、仕事社会では女性は排除されてきた歴史が長いわけですから、その分、女子にはより大きな配慮が必要だ、程度に考えたほうがいいと思います。

また。価値観の違いについても、最近のいわゆるゆとり世代を特別視するのはどうかと思います。
確かに僕らには理解不能なこともありますが、僕らの世代も「バブル世代」と言われて化け物扱いされてきたわけだし、僕らの少し上は「新人類」と言われ、宇宙人のように言われてきたわけですから。

「価値観の違う人をどうマネジメントするか」

ということは、実はいつの時代にも必要なことだったはずで、それが、経済成長と終身雇用の建前の中で如実に顕在化しかなっただけだと思うのです。



さて、今度はマネジメントをする側として考えた場合ですが、僕は「自分がされて嫌だったことはしない」という程度の決め事はしています。

先に書いたように、そのへんは、男女の差なく、嫌なものは嫌だろうと思うので。

その上で、本書で書かれている「やる気を育てる上司になるための5か条」のうち、ある程度は出来ているかも、と思えるのは、第3条の観察力と第4条の頼り上手です。

もともとホテルでの主任時代、自分が電話で話しながら、反対の耳で他の人の電話の内容を聴いているようなタイプだったので、観察については下地があったのだろうと思います。

頼り上手は、今の仕事の現業は僕はやることができないので(苦笑)頼るしかない、というところからスタートしています。

上司としての威厳もなにもあったもんではありませんが、それでもいいと思っています。要は職場の成果が上がればいいので。そして、僕の仕事は現業とは違う所あり、彼らにはできないことをするのが職務だと思っています。

逆にいまだにできていないのは、第5条の叱り上手になるということ。どうにもこの部分の苦手意識は払拭しきれずにいます。


自分の状況と照らし合わせながら読むと、いろいろなヒントが得られると思います。万人に必ず役立ちます、というつもりはないですが、

「価値観の違う人とのコミュニケーション」

を模索している人には参考になると思います。


好むと好まざるとに関わらず、これからの時代、女性といわゆるゆとり世代の若手に働いてもらわないと、会社、ひいては日本社会が廻っていきません。そのための手掛かりを探すつもりで読まれるといいと思います。


                                                   

2013年11月3日日曜日

数値目標よりも行動目標を~目標はふたつ持つ




「目標はふたつ持つ」

試験勉強中、これは常に意識てきたことでした。
(そしていまも、仕事をする上で意識し続けています)

ふたつのうちのひとつは、「自分だけでは決められない成果」という目標。
もうひとつは、「自分次第で達成可能」な目標、です。

たとえばこういうことです。「今年中に結婚する」という目標を立てたとします。でも最終的な決定権は自分にはありません。受け入れてくれる相手がいないとダメなわけです。

でもこれを「今年中にプロポーズをする」とした場合は違います。相手が受け入れてくれるかどうかは関係ない。自分が決めて自分が言えばすむことです。

もちろん「結婚する」という目標がなければ「プロポーズをする」という目標も成り立たないわけですから、自分にコントロールできない目標を立てることが無駄なわけではありません。ただ、そちらだけに意識を集中してしまうのはまずいと思っています。不必要な焦りを生むだけだと思うからです。

資格試験の勉強中、もちろん最大の目標は「診断士試験に合格する」ということでした。この目標をわすれたことは、当然ながらありません。短期的には、通っていた学校(TAC)で行われる答練(答案練習)という名の模擬試験で、各科目60点以上取ること、7科目合計で480点以上取ること、を目標にしていました。

しかしこれも、自分の力ではどうにもならない部分がありました。目標点数をクリアするために努力をしないと話になりません。でも、出題者がどの程度の難易度で問題を作ってくるかで結果は大きく変わります。実際、本番に比べて難しすぎるだろうというときもあれば、簡単すぎるだろうというときもありました。実際、養成答練・完成答練・直前模試と得点が乱高下した科目もあります。いま考えると僕の準備に問題があった部分もありますが、それだけではありません。やっぱり難しすぎたり易しすぎたりしたのです。

だから、そうした点数に一喜一憂することは(できる限り)しないようにしていました。最終的に本番で420点取ればいいのだと開き直り、普段は、自分が立てた計画をどこまでちゃんと進められるかに注力していました。

基本的に長期計画は立てていなかったので、1週間単位で計画を立て、達成度を勘案して微調整していきました。特にGW明けからのラスト3か月は、毎週1科目毎、完成答練がありましたから、そこをターゲットにやることを決めて、決めたことを確実にこなしていくことを最大の目標にしていました。もちろん、やった結果として何点取りたいという目標を持っての答練に臨みましたが、実はその部分で思っていた点数に達したことは1度しかありません(苦笑)

でも結果的にそれでよかったと思います。「やるべきことはやっている」という自信を手に入れながら、どこで失点したから目標点数に達しなかったのか、どこをつぶせば得点獲得能力が上がるのか、考えながら進めることができました。

こうした考え方は、普段の仕事にも通じるものがあると思います。たとえば営業の人なら、目標という名のノルマ?がありますね。(僕も昔はあった)もちろんそれを達成しようと頑張らないといけません。知識やスキルやノウハウを学んで、受注確度をあげる努力をしなくてはいけません。でも、受注できるかどうかは相手の状況もあることですし、大きく言えばマクロ経済の状況も関係します。

過去の自分を振り返った時、いまの僕ならあんなに簡単にあきらめなかったと思う場面が多々浮かびます。もっとやりようがあったろうな、と思います。でも、やっぱり無理だったろう、今の僕でもあきらめざるを得ないな、と思う場面も数回はあります。

そんなときこそ、目の前のことに注力する。何軒新規を訪問し、電話をかけ、既存のお客様をどれだけフォローするのか。数値目標ではなく行動目標に目を向けるようにする。そうしたことの達成の積み重ねが、最終的には数字を達成していく秘訣のように思います。

「目標はふたつ持つ」という考え方はけっこう有効だと思います。目標数字にとらわれ過ぎてしまうような人ならば、騙されたと思って一度、試してみてください。

PS
この考え方、前にも書いたことがありますが、師匠である和田裕美さんのこの本で学びました。「成功体験を積み重ねる」という意味でも有効性が高い考え方だと思っています。

幸せをつかむ! 時間の使い方



アメブロから転記)

2013年11月1日金曜日

直感はかなり正しい~【読書】正しい判断は、最初の3秒で決まる / 慎 泰俊

正しい判断は、最初の3秒で決まる 投資プロフェッショナルが実践する直感力を磨く習慣 / 慎 泰俊




この本の根底にあるものは、目に見えるものや論理的に通じるものしか許さない「知性」に対する異議申し立です。(p235)

あとがきの冒頭近くに書かれている一文ですが、この一節に僕は激しく共感しました。もちろん、論理的に考えることは大切です。日本人は一般にロジカルに考えることが苦手だと言われています。情緒に流されず、論理的なコミュニケーションをとっていくことはグローバル化するこれからの時代に必要なことです。そう思って「ロジカルシンキング」の講座にも通いました。しかし、それが偏重され過ぎて「論理的でないものは間違いだ」という話になるとそれは違うだろう、と思うのです。論理は直感を精査する道具だと考えているからです。

目次第1章 その判断は、間違った思い込みかも?
第2章 直感が課題解決をするメカニズム
第3章 実践!直感力を高める習慣
第4章 「競争優位の源泉」としての直感
第5章 直感を活かす組織の7つの条件

直感と信念はどういうものか、それが個人や組織の発想や意思決定にそのような影響を与えるのか、直感や信念をより優れたものにするのはどうすれば良いのか、(p8)

この本に書かれていることを一文にまとめるとこうなります。少し言い換えると「イノベーションを起こすためには、直感と信念が決定的に必要であり、それは高めることができる」ということです。

直感と信念を一緒に論ずることに違和感を覚える人がいるかもしれません。なぜ直感と信念を同列に扱っているのでしょうか。この本では、直感と信念を下記のように定義しています。

直感:経験に基づき。無意識のうちに最善の選択肢を選びとるものであり、人の「発想」を左右するもの。信念:経験に基づき。無意識のうちに最善の選択肢を選びとるものであり、人の「行為」を左右するもの。

直感から生まれる発想は、最初は周囲になかなか理解されません。直感は暗黙知であり身体知であり、言葉にしにくい。それを正しいと信じ、自分なりに精査し、言語化し周囲を巻き込んでいけるようになるまでには時間がかかります。そのためには「信念」が必要になるということです。直感と信念は表裏一体、ということです。

「知行一致」という言葉がありますが、想いと行動を一致させる、それがイノベーションを起こすため必要不可欠なことなのだと思います。

直感は、経験の積み重ねによって湧き出てきます。経験に基づかないひらめきは直感ではない。ただの「思いつき」に過ぎません。どのような経験を積んでいけば直感が鍛えられるのか、その考察が第3章に書かれています。

それをひとことで言えば「幅広くときに深く」。T型人間という言い方がありますが、そのイメージですね。雑多なことを浅く広く、でもその中の特定分野については深い体験をすることが直感力を鍛えるのだと言われています。そのための具体的な方法にも触れられています。

その中には「読書」について書かれた部分がありました。
「読書も経験になりうる」ただし、条件付きで。
ショウペンハウエルの『読書について』を援用してこう指摘しています。
「読書だけしていては、自分で考える力が失われていき、ほとんど1日を多読に費やす人勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失っていく」(p143)

多読・速読が奨励される風潮の逆をいっているわけです。読書好きとしては耳が痛い指摘ですが(苦笑)熟考する、という過程を抜きに血肉化することはない、というのは間違いないことのように感じます。

「浅く広く」という経験のためには多読も必要ですしょう。でも、それがすべてではない。自分が深堀をしていこうとする分野については、熟考を重ねながら読む、ライフネット生命の岩瀬社長の言葉を借りれば「脳に負荷をかける。脳に汗をかきながら読む」ということが必要なんだと思うのです。

その後の第4章・第5章では「組織」における直感の大切さが書かれています。
伸びている組織(企業)には必ず、論理では割り切れない不合理ともいえる「理念」がある、ということです。それはなぜか。

一方でいわゆる「大企業病」に陥るような組織は、イノベーションの基となるような個人の直感をくみ上げられなくなるのはなぜか。そうしたことが書かれています。

全編「直感」の大切さが書かれています。すべての人に是非読んでほしい本であるのですが、少なくとも「あとがき」だけは読んでほしい。立ち読みでもいいので目を通してほしい、と思っています。

私がプライベート・エクイティの仕事や自分で興した事業を通じて得たのは、目に見える論理の鎖だけをたどるっても、結局何も行き着かないという確信でした。本当の論理、世界を前に進める論理は、おそらく、目に見える論理を飛び越えたところに存在しているのだと思います。真理にたどり着き、世界を前に進めるためには、私たちは時に勇気をもって飛躍しなければいけません。それがたとえ、一部の「賢い人々」から笑われることになったとしても。

体験に根づいた直感と信念があってこそ、世界は前に進みます。「できるかどうかじゃない、やるんだよ」と、それができない100の理由をなぎ倒しながら前進する人々こそ世界を進歩させるのだと、私は強く主張したいのです。
(p235~236)


何か感じるものがあるはずです。いままでの自分と同じではいられない、と思ったら、全編読んでくだい。きっとなにかが変わるはずです。



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(この記事は、アメブロから転記しました)