2013年1月5日土曜日

新年の抱負らしきこと~身軽になって歩いていく~

去年読んだブログの中で一番好きだったと言っても過言でないのがこの記事。

EDIT THE WORLD :東京というところ。 いろいろなことを考えさせてもらえたので。

そうして考えてきたことが当面の自分の指針になるように思えるので。


最初に惹かれたのは

「私の居場所は、私のいるところ。きっとそういうことなんだろう。」

という最後の一節。

自分の居場所が「ここではないどこか」にある、と考えてしまうのは、

多かれ少なかれ誰にでもある(特に若いうちは)ことだと思います。

けれど、僕は過剰に

「自分の居場所はここではない」

と思っていた時期が長くて、

本当に「自分の居場所は今いるところ」と思えるようになったのは

40歳を超えてから。

それだけに、この一節に「そうだよなあ」という感慨を持ったのでした。


しかし、僕は人生で意味のないことなどない、と思っています。

それはいまも変わらない。

不要なもの・無駄なもの、とよく言いますが、それは一面的な見方だと思っています。

別な面から見たらそれは本当に不要?無駄?と思わないではいられない性格です。

前だけ向いて歩いてく、というのはかっこいいかもしれない。

でも、視野を広げて、それこそ360度の視野を手に入れることができたら、

どんなことも見ることができるのではないか、と思ってしまいます。


ある高名な(ビジネス書)著者が

「自分が変わりたければ付き合う人を変えることだ」

と書かれていて、強い違和感をおぼえたことがありました。

言っていることはわからなくはない。

ですが、自分が成長することでキャパが拡がるのだしたら、

変えるのではなく増やす、ということもできるのではないかと思ったのです。

ステージが上がって付き合う人が変わった、という言い方を聞きますが、

それってステージが横にずれただけじゃないの?

本当にステージが上がったのなら、

自分のキャパが拡がってもっとたくさんのことを抱えていられるんじゃないの?

と思うわけです。

そもそも、人をものと同じように扱って、捨てるとか整理するとかいう言い方をする人とは

お友達にはなりたくないなあ(どの道なれないんですけど(苦笑))

と思ったりしていました。


ただ、これは理想論ではあります。

現実はそう甘くはないこともわかってきていました。

自分が少しだけ成長できて、少しだけステージが上がったときに、

拡げることができる自分のキャパより多くの事柄が自分に押し寄せてくる、

というのもまた、実感していました。


物理的空間の話ではないので、

自分で努力するればキャパは拡げられると思っていましたが、

そんな簡単な話ではない。

結局、キャパオーバーになれば、自分もダメになるし。まわりにも迷惑をかけてしまいます。


極論を言えば、いちばんキャパを大きくできるのは「空」であること。

自分を一旦空っぽにできればそれがいちばんキャパが広い状態です。

ですが、仏ならざる俗人の僕が、そんなに簡単に「空」の境地に達することができるわけがない。

だいたい、「空」の境地がどんなものかすらわかっていない。

それは遠くに目指す目標ではあっても、

いま目の前の現実を生きていく道標にはならない、と感じています。


そうすると結論は、断腸の想いでなにかを整理し、なにか振り捨てて、

自分のキャパを拡げていくしかない。


ぐるっと遠回りして、考え続けた結論は同じところにたどり着きました。


『振り捨てて、振り捨てて、身軽になって歩いていく。』
還暦を迎えるころには違うことを言っていたいな、

すべてを抱え込んでも大丈夫なようなキャパの持ち主になっていたいな、と思いつつ、

いまはこうして前を向いて歩いていくしかないのでしょう。

(この記事は、アメブロから転記しました。)