以前(2011年9月・12年3月)、NHK教育テレビ「100分de名著」のテキストとして出版された本です。
僕は番組自体は見ていないのですが、いままでも様々な名著を取り上げていて、入門としては非常に重宝するシリーズだと思っていました。
『ブッダ 真理のことば』 (NHK100分de名著)
この本(お経?)はいわゆる初期仏教・原始仏教に属するものです。数ある経典の中でもとくに古い部類に入ります。
ご存知方には文字通り釈迦に説法ですが(笑)仏教はかなり多様な発展をしています。大雑把にわけると、
自らの救済を目指す上座部仏教、
他者の救済を目指す大乗仏教
にわかれます。
このうち、上座部仏教が東南アジア方面に南伝し、大乗仏教がチベットから中国に北伝していきました。(かなりざっくりですけど)
さらに日本に入り、また大きく変容します。
神道と結びついて神仏混淆な考えも生まれました。また、日本の伝統仏教と言われるもので宗派がいくつあるの考えただけで、どれだけ分派していったか分かるというものです。
さて、ここで取り上げられている『真理の言葉(法句経、ダンマパダ)』は、こうした分裂が起きる前のものだと言われています。また、強いて言えば、上座部仏教に近い内容です(これも強いて言えばです)
著者の佐々木さんはこれを「釈迦の仏教」と名づけられています。
本書を読んでもらえればわかりますが、この「釈迦の仏教」には、一般的に宗教の印象としてある「神秘的」なところがほとんどありません。超越的な存在を肯定せず、生きていく上での苦悩をあくまで自分の問題と考え、自分の力で道を切り開くという考え方をします。
いまの感覚だと宗教というより哲学に近いかもしれません。佐々木さんは「自己鍛錬システム」とい言葉を使われています。
そして、『真理の言葉』からこうした句を引いています。
自分で自分を叱咤せよ。自分で自分を制御せよ。比丘よ、自己を護り、正しい思いを持ち続けるならば、お前は安楽に過ごすことができるだろう。(p75)
もう完全に現代人が思い描く「宗教」ではないですよね。
そして僕はこれからの時代、この原始仏教が重要な役割を果たすかもしれない
と思っています。宗教が神秘性を強調すればするほど現代人は
「またまた~」
と思って胡散臭いと思う可能性が高いでしょう。しかし、だからといっていまの閉塞状況の中ですべてを「合理的」に「科学的」に割り切ることもできないと思うのです。
心のよりどころ、目に見えない何かを信じることは実は大切なことだと思います。
宗教のことを書くのは難しいので(苦笑)
まず手にとって読んでほしいと思います。本当にわかりやすく書かれていますので。もしかしたら、魂を洗い流すような体験ができるかもしれません。
PS
ここまで書いてきてなんなのですが、僕自身は決して原始仏教派ではなく、
日本の土着なものと結びついた修験道やそのにおいを濃厚に残す真言宗(空海ですね)とかに惹かれています。
佐々木さんもこう書かれています。
「釈迦の仏教」と「大乗仏教」、どちらが優れている、どちらが劣っているという判断は無用です。「釈迦の仏教」を頼りに生きていく人もいれば「大乗仏教」で救われる人もいる。宗教の目的が「人の一生を支える杖」であるなら、どんな杖を使うかは人それぞれの状況が決めること。他人の杖にあれこれ口をはさむのはいらぬおせっかいです。(p91)僕もまさしくそう思います。思わず膝を打ってしまいました(笑)
それと、もうひとつ。
「仏教」というからには仏様が説いた教えであるはずなので、後の「大乗仏教」はすでに仏教とは言えない、という意見があるのですが、僕はこれには与しません。
なぜなら、仏教とは「仏になるための教え」だと思っているので。
そもそも仏さま(ブッダ)というのは
「目覚めた人」「体解した人」「悟った者」
という意味の普通名詞で固有名詞ではありません。
どういう道であれ、「仏になる」「悟りを開く」という道に向かう基本さえ外してなければそれは
「仏教」
と言って差し支えないのだと思っています。